*novel*


□涙のち晴れ
1ページ/3ページ


おとうさまとおかあさま、そしておにいさまとの幸せな時間を過ごした場所。
例え外の世界を見ることが叶わずとも、確かにその頃の私は十分過ぎる程の幸せを感じていた。
"幸せ"を疑うことすら知らなかったのかもしれないけれど…愛されているという穏やかな感覚を持ち合わせていたことは事実だ。


記憶を取り戻し、おにいさまと共に学園を去り、再びこの場所へ戻ってきてからどれ程の時間が経ったのだろう。
窓もなくただ壁に囲まれた懐かしいこの部屋は、今の私にとっても幸せを感じられる場所であるのだろうか。
愚問だとわかっていながらも考えることを止められない…
"幸せ"なんて、考えるのではなく感じるものなのに。




「ただいま、優姫」


ソファに座り膝を抱え、現在と過去の狭間にぼんやりと意識を漂わせているうちにいつの間にか眠ってしまったらしい。
ゆっくり目を開けるとソファに身を預け本格的に眠ってしまっていたことに気付くが、聞き慣れた声がした方に顔を向ければそこには優しい微笑みで私を見つめている人がいた。


「優姫、こんなところで寝ていたの?
風邪をひいてしまうよ」

「……っか…枢センパイ!
おかえりなさい…お出迎え出来なくてごめんなさい」


思ったよりも近くに枢おにいさまの顔があり、驚きのあまり私は思わず飛び起きる。
おにいさまはソファの背もたれ側から覗き込むようにこちらを見ていた。
しかし私を優しく見つめていたその瞳がふいに険しくなる。


「…"センパイ"じゃないよ、優姫」


淋しそうにそう言って、おにいさまは私の頭を優しく撫でた。


「あ…ごめんなさい……」


寝惚けて思わず口走ってしまった。
それは極力控えるようにしていたこと……
人間として生活していた頃、自分と枢おにいさまとの違いを意識して"枢さま"と呼び掛けないようにしていた。
それと同じように、今は"センパイ"と呼び掛けないようにしていたのに。


「ゆっくりでいいんだよ。時間はあるんだから…」

「でも……」


おにいさまに感情を押し殺してまで無理に笑ってほしくなくて、私は弁解しようとおにいさまを見上げた。
そして気付く。


「おにいさま…コートが少し濡れています」

「あぁ、外は雨が降っているんだ」


どうりで埃っぽい、土のかおりがするはずだ。
雨が降っているなんてここからは見えないが、いつの間にか匂いでわかるようになった。
目を閉じれば雨音が聞こえてくる気がするくらい…

外に出られなくても外の世界を感じられる。
だから、淋しさは感じない。
不幸だとは思わない。

何よりも帰ってきてコートも脱がずに真っ直ぐ私の元に来てくれたおにいさまがいる。
それがどんなに幸せなことか…自分がどれだけ幸せなのかが実感できる。
やっぱり"幸せ"は頭で考えるものじゃない。

少しばかり穏やかな気持ちになり、私は改めて出迎えを仕切り直そうと立ち上がりかける。


「……ちょっと待ってて」


思い出したように枢おにいさまは立ち上がりかけた私を座らせて玄関の方へ向かった。



次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ