あ〜運営目的・閲覧方法など〜
ここに収められている文章は、2008年3年から2009年3月までの1年間、歳の離れた友人が参加するとある文芸同人誌に寄稿したものを中心としている。
個人的に気に入ったものであっても、その「理念」(!)に反するものは躊躇なく書き直しを迫られた。陽の目を見ることのなかった、それら「お蔵入り」になった数々も、改めて、そしてつとめて「個人的」に掲載した。
このサイト(という以外に適当な呼称が思いつかないので)はつまりのところ、「残す」ことを目的にした、いわば「極私的倉庫」だ。
コンテンツ自体は「極私的散文集」、「対談」と銘打ったそれらふたつだけ。
極私的散文集はコラム・随筆・書評・論評・エッセイと内容にとりとめがなく、文体に於いても一貫性がない。これらは僕自身の人間の一部を切り取った一種のフラグメント(断片)に過ぎないので、敢えて「散文」という括りにした。便宜上、「日記」として掲載している。
対談は友人であり、3歳年上の先輩でもある新進気鋭の社会学者、大澤真司氏と行ったものである。内容は読んでいただければわかるが、このサイトは氏との対談を「残す」ところに端を発している。このサイトの監修も彼に、個人的にお願いした。エイリアンズというコンセプトにも共感をいただいた。
ここには掲示板やメールボックス、リンクといった相互作用的なものは一切ない。宣伝もなく、またランキングなどどはついぞ無縁である。またそれが正しいやり方だとも確信している。
ヒトは自分の倉庫をむやみに開帳したり、他人と互換的にシェアしたりなどはしない。それこそが倉庫の倉庫たる所以なのだ。そしてそれが「精神的倉庫」であればなおさらである。
最後に文章について書く。
僕にとって文章を書くことは総じて楽しい作業である。
生きることの困難さに比べ、それに意味をつけるのはあまりにも簡単だからだ。
しかしそれが落とし穴だと気づいたのは、不幸なことにずっと後だった。
僕たちが認識しようと努めるものと、実際に認識するものの間には深い淵が横たわっている。どんな長いものさしをもってしてもその深さを測りきることはできない。
僕が書きしめすことができるは、ただのリストだ。小説でも文学でもなければ、芸術でもない。まん中に線が1本引かれた一冊のただのノートだ。
教訓なら少しはあるかもしれない。
ここに集められた文章が世の中の役に立つとか、そういうことは、多分あまりないと思うけど、楽しんで読んでいただけたとしたら、その上でたとえ少しでもあなたの個人的なお役に立てたとしたら、筆者としては幸いです。
09年4月 深夜