戴きもの
□天の掛け橋
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「あぁ、こりゃ天の川は見られそうにねぇなぁ。」
しとしとと降り続く雨。
深緑の着流しを纏う男が縁側に腰を下ろし、長い足を豪快に組んで、左手で団扇を扇ぎ独りごちた。
「七夕に降る雨のことを、なんて言うか知ってる?」
背後から静かに投げかけられた問いに振り返れば、そこには長く艶やかな黒髪を柔らかく結った女が佇んでいた。
歳を重ねた女は、あの頃とは別の柔和な雰囲気を纏って、男の側に腰を下ろす。
「なんて言うんでぇ?」
「催涙雨。」
「さいるいう?」
聞き慣れない言葉に鸚(おむう)返しすれば、女はくすりと小さく笑う。
「そう。催涙雨。織姫と彦星が流す涙のこと。」
そう言い、女は灰色の雲が覆う空を見上げた。
「一年に一度きりしか会えねぇのになぁ。そりゃ泣きたくもならぁ。」
「でも織姫も彦星も自分の好きな事ばかりしてきた罰として、引き離されたのよ?自業自得だとは思わない?」
女の突き放した物言いに男は目を丸くするが、彼女らしい見解に思わず吹き出した。
たいした女だ、こいつは。
「…それに…。」
笑う男を余所に女は少し俯き、真剣な瞳をして静かに口を開く。
その表情は、どこか朧げで男は小さく息を飲み込んだ。
「本当に逢いたいなら、天の川でも何でも泳いでくればいいのよ。」
「本当に結ばれた相手なら、何年逢えなくても気持ちは変わらないわ。」
男は女の頭をそっと引き寄せ自身の胸に埋めた。
この女が言わんとする事が手に取るようにわかったから。
「…離れてわかる事もある。織姫も彦星もいつかまた一緒に暮らせる日がくらぁ。…俺らみてぇにな、恵。」
「…そうね。たまには良いこと言うじゃない?左之助の癖に。」
胸元で笑う恵の髪をくしゃくしゃと撫で、「一言余計だっ!」と笑顔で抗議する。
一度はそれぞれ別の道を歩んだ。
左之助は自身の強さを知る為。
恵は自身の罪を償う為。
互いが離れて初めて気づいた、相手の存在。
互いが離れて初めて気づいた、相手への感情。
傷ついた自分を知らず知らずのうちに支えていてくれたのは、あいつだったのだと―。
五年の歳月を経て、二人は結ばれた。
それは、時間という長い長い川に遮られた織姫と彦星の物語。
「おっ?雨止んだな?」
「あら、本当…。」
見上げれば雲が散り散りになり、流されて行く。
雲間から乳白色に淡く輝く無数の星の群れ。
広大な天に流れる川が覗いた。
「天の川…。」
声が重なったその時、後ろで障子がそろりと引かれ幼い声が二人を呼んだ。
「あら、起きてきたのね?」
「おいっ!来てみろ!天の川だぜ!」
目を擦りながら左之助の膝にちょこんと座ると、わぁっと瞳を輝かせる我が子を見遣る。
そして、我が子に気づかれぬよう、どちらからともなくそっと手と手を握りあった。
七夕の今宵、どうか織姫と彦星が再会し愛を育むことができますように。
そしていずれはまた二人で歳を重ねて行けますように。
それまではどうかこの目映い程に輝く川と、それに架かる架け橋が、
消えぬことのないよう祈り続けよう。
おわり。