短編

□桜茶屋
1ページ/2ページ

清澄の蒼。
眩いばかりに輝く陽射しの下、薫は爽快な朝の空気を心地良く感じながら、日々の鍛錬に気を散ずることなく、励んでいた。

日々の鍛錬―――薫で言う処のこの鍛錬とは、勿論剣術の武道にも当たるのだが、最近では、料理を為ることにも填る。

己の料理の才には、異類の意義で心服する。
詰まり、常の程度を上回った料理の酷さに、心苦しさを否めないのだ。
其れで以て、剣心が料理が巧みで有るものだから、尚更。

方途を見失った様に鬱結した薫は、女人としての誇りを焚き、日々早朝に起きては、料理を上達させることに勤しむ様に為った。
低血圧の薫だから、日が東に登り始めたこの早朝に起きることは、多少苦でも在ったが、致し方無い。
白昼にでも成れば、出稽古や買い出しで忙しく、暇が無くなる。
因って、辛かろうと、朝に起きるしか為す時間帯は無いのだ。
其れも、剣心が朝食を作るまでに退かなければならないのだから、時間はかなり限られるが。
その為にも、依り早く起きなければいけない。

言わば、此は薫の闘いで有り、全うしなければならない義務でも在った。


「ふぅ」


息吹混じりに、溜息を零す。
意気揚々と執り行っていた薫だったが、調理の葛藤に苦悶の表情を浮かべる。

目前で起き拡げられている小麦粉や塩漬の葉に、漆黒の眼光を落とした。
輝きが薄れていないのは、真だ諦めていないからであろう。

今此の時、薫が拵えているものは、桜餅。
自ずの好物を作ってしまうのは、女の性というか、薫の心情の現れでもあろう。

小麦粉と白玉粉を練っていた、粘りが利いた手を洗った後、取り成した皮に、餡を入れていく。
仕上げに、塩漬の桜の葉で包み、蒸籠で蒸す。

最後の工程が済んだ後、薫は一息、壮快な空気を吐き出した。

上手く、出来たらいいな。

底を簀とした蒸籠の、下から通される湯気を見つめる。

そうしたら、剣心に。




















薫が料理に勤しんでいることは、剣心も承知の上だ。
近来、薫は剣心の拵えた料理を口にしては、美味しさに顔を綻ばせるものの、苦々しい様な、厭わしい様な表情になる。
其の原因に齎された由来が、此だ。

因って、剣心は最近、常時より朝食を作る時間帯を遅らしている。
そのことに、薫は気付いていない。
気付いたら気付いたで、薫のことだ。
更に覚めて立つのが早くなるであろう。
元々低血圧で辛かろうに、これ以上早く起きて、心身に支障が出ては元も子もない。
剣心は先を見据えて、現状を熟知している。

従って、特に何を為るわけでもなく、自室で寛いでいた剣心に、突如甘い香りが漂った。

その香りにいざなう様に、剣心は腰を上げる。

そろそろ良いだろう。

障子を開けると、甘い香りは一面的に充満していた。
障子越しに立ち込めていた程だ。
解らないわけでも無い。

その香りが導く方途に、剣心は歩を進めていく。

馨しい匂いの流出源で在る厨房に、剣心は到達すると、最も愛しい女性の姿を見付けた。


「薫殿」

「あ、剣心」


幸せを振り撒く様に笑顔で振り向いた薫に、剣心も頬の筋肉が緩む。
其の笑顔一つで、極めて舞い上がってしまうものだから、世話が無い。


「おはよう」

「あぁ。精が出るでござるな」

「今ね、桜餅作ってたの」


剣心の脳髄に、桜色の糯米に、桜の葉で包まれたものが浮かび上がった。
薫らしいと言えば、らしい。


「本当に、甘い菓子を好むな」

「いいじゃない、別に。好きなものは好きなんだし。―――あ、ちょうど出来た」


木製の框にに乗せられた桜餅が、湯気を蒸気させて顔を出した。

薫は掌に布巾を乗せながら、桜餅を取ると、事前に出しておいた皿の上に設えた。

その器を、剣心に差し出す。


「食べてくれる?」

「勿論」


凛とした言葉の裏腹に、憶した薫の表情が見え隠れした。
心配なのだろう。
そんな顔を見せられなくとも、元より食す気でいた。
味とは差異に、愛しい女性が頑張って作ってくれた物なら、如何様にも。

差し出された器を受け取って、未だ水蒸気を帯びている桜餅を見れば、形は然程悪くなかった。

問題は味なのだが、其れは薫も同一なのだろう。
桜餅を手に取り、口に含もうとしている剣心を、ぐ、っと見詰めている。
そんな姿が可愛くて、思わず吹き出しそうになるが、堪えて剣心は桜餅を口に入れた。

味わっている剣心に、薫が徐々に動悸しながら、その表情を伺う。


「・・・どう?」

「悪くない」

「本当?」


剣心のその言葉に喜んだのも束の間、薫は剣心に半ば強引に手首を掴まれ、引き寄せられた。
その一方的な引力に因って、剣心の図った通り、薫が倒れ込む。


「・・・きゃっ・・・」

「真か嘘か、確かめてみるか?」


薫が小さな叫びを現した後、剣心は、言いながら、己の唇を薫の其れに近付けていった。
咫尺と為った剣心の顔に耐え切れなくて、慌てて逃れようとするものの、その隙さえ与えられず剣心に唇を奪われた。

その後も朦朧とする意識の際に、色々と抵抗を示したが、そんな薫を翻弄する為、剣心は薫を押し倒した。
剣心の絶妙な力加減で、薫に痛みは施されなかったが、剣心の口付けは、依り濃厚になっていく。
薫の表情が苦しそうに歪んでいった。

這う唇の合間に漏れる薫の喘ぎ声と共に、剣心は気分を良くした。

やはり、上から見下ろしてやるのが一番だな。

薫の極めてそそる表情を捉えることも可能だ。

薫が最後の力を振り絞って、剣心の胸を叩いて限界を示したが、それでも剣心は、薫の苦悶の表情を堪能する為、行為を続行させた。

薫が限界に達した時、漸く剣心は唇を離すと、薫の、荒い息遣いと、苦にひずんだ顔を充分に眺めた後、薫の手首を解放した。

やっと束縛を取り除かれた薫は、不正常な呼吸の侭、剣心に睨みを利かせた。
この状況で睨まれても、上目遣いで可愛いとしか言い様が無いのだが。


「嘘つきっ。美味しくないじゃない・・・」

「否、以前よりは上達していた。それに―――」


剣心はもう一度、薫に口付けを落とした。
剣心が近付いて来るのが解ったから、逃げようとしたが、身体が麻痺していて、逃げることなど不可能であった。
それすらも剣心は見抜いたのであろうか。


「後味は極めて絶品だ」


唇を離し、薫の耳元で、一言。
感度が敏感な薫は、それだけで嬌声を上げた。
其のことを承知の上だからこそ、意図的に耳許で囁いたのだが。


剣心は薫の元から起き上がると、「そろそろ朝食の用意を」と、準備に取り掛かった。

羞恥に駆られながらも、全面に渡って自由に成れた薫は、ゆっくりと起き上がる。

身体を起こした薫に、剣心は満足そうに、愉快であるかのように、屈託の無い笑みで笑ってきた。


「次も期待しているでござるよ」


その笑みと言葉に、薫が更に顔を赤に染め上げた。
笑みと言葉が幾重にも重なって、その笑顔に畏怖すら抱く。

薫の唇が、意地悪、と動いた。
聞こえて来た声は、「承知の上」。









fin.
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ