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□ナナへの気持ち
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ナナへの気持ち
ずっと居るところではないわ
鈴は、最初から、そう思っている。
最初から、というのは、慶国に女御として召し抱えられたときからで、その考えはたぶんきっと、かわらないだろう。
宮廷育ちの祥瓊には、なんだかんだ言ってもここの仕事が天職であろうし、その点は、自分とは違う。
一緒にここに来たからといって、出ていくときまで一緒じゃないわ。
そう、鈴は常に冷静に、自分や祥瓊や、まわりのことを分析してきた。
鈴はもともと、どうしても宮廷での仕事をしたかったわけではない。
最初は。一番最初はそう、もうずいぶん昔のことになってしまったが、言葉のためだった。
ここに召し抱えられてから、王の計らいでいろいろなことを勉強してきて、自分なりのゆめができた。
まだまだわからないことだってたくさんあるし、まったく具体的でない。
けれど、鈴は心に決めていることがあった。
いつか、ここを出て。
ここを出たら、村塾をひらくの。
裕福でも、貧しくても、関係なく、学びたい子供に、学問をつける。
そういうことをしたい。
この国に来る前に一緒に短い旅をした、頭のよかったあの子のことを、いつだって思い出す。
身分の貴賎なんて関係ない、頭のいいこだった。いろいろなことを教えてもらった。
もっと、生きたかっただろう、きっと素晴らしい未来があの子にはあっただろう。
ああいう、未来のある子供に、ちゃんとした未来を選べるようにしてあげたい。
この世界の言葉はもう、鈴は話せる。ここで勉強させてもらったからだ。
子供に教えるだけの知識もある。それも、ここで勉強させてもらったから。
ならば、それをここで暮らすひとたちに返すのが、鈴の役目で、ゆめだ。
そう、鈴は、だんだんと、考えている。
もう長いこと、ずうっとだ。
どん、とすれちがった拍子に肩が当たって、鈴は持っていた書物を落とした。
「あら、ごめんなさい」
高慢な声がきこえて、書物を拾い抱えながら、鈴は声の主を見上げた。
「いえ、こっちこそ、ごめんなさい」
謝ると、高慢ちきとその連れの女官二人は、フンと険のある視線を鈴によこして、ぷいと行ってしまう。
「なんであんな……賤の…海客……」
とぎれとぎれに、二人の悪意のある、内緒話にしては大きな声が風に乗ってきこえてくる。
ははあ、と鈴はあたりをつける。
あれが、さいきん宮に上がってきた、どこぞの内代官の娘たちってわけね。
むかしから、あの手の誹りを鈴は受けやすい。
王は祥瓊と鈴とだけはまるで特別扱いをするのは誰が見ても明白だ。
古参の者は、この国の黎明期のまだはじめのほう、祥瓊と鈴が、王の権威の足元固めをしたことをよく知っているが、最近入ったものはその限りでない。
祥瓊も鈴も、そんなことを吹聴してまわるような人間でもないし、そんなことはいまさら、どうだっていいことだと思っている。
新しい問題は山のようにでてきて王を苦しめているし、そんなこと、どうだっていいことなのだ、本当に。
祥瓊はあんな性格なので、ああいう僻んで悪口を言うような人間を、片っ端からやっつける。
美人で迫力があるし、弁舌は達者なので、だんだんああいう輩は祥瓊には何も言わなくなってくる。
するとその悪意を向ける相手は、鈴よりほかにいなくなる。
なので、鈴はもうこの手の悪口なんて、慣れっこになっていた。
祥瓊なんかは、鈴もなんとか言い返しなさいよ!と憤慨するが、そんなこと鈴は、心底だどうだっていいのだ。
いつかは、出ていくもの。
こころのどこかにそういう、冷めたきもちがある。
いつかここからいなくなるんだから、みんなと仲良くする必要なんてないわ。
わたしは、好きなひととだけ、仲良くするし、好きなひとにだけ、ちゃんとわたしのことわかっててもらえれば、それでいいの。
そんなふうに思っている。
嫌なのは、じぶんが悪口をうけることじゃなくて、王が、それを聞いて傷つくことだ。
いまだって、そこの柱の影で、王の気配がしている。
鈴には王気など見えぬ。
気配が、なんていったけれど、なんのことはない、見事なくれないの長い髪が、ちらりとそこから覗いているから、そうだとわかっただけだ。
「陽子」
そっと呼ぶと、バツの悪い顔をして、王は――王で、友人の陽子は、そろりとそこから出てきた。
「みていたの?悪趣味ね」
言ってやると、陽子はますますバツの悪そうな顔をして、少しはにかんだ。
こういうとき、いつも、鈴は思うのだ。
どうか、申し訳なさそうな、顔をしないで。
わたしのせいでごめん、そんなことぜったいに、いわないで。
鈴にとって、為政者とは、傲慢で、厚顔で、冷徹なものだ。
うまれた故郷でも、流されてこちらにきてからも、それだけは真実だ、そう思ってきた。
それなのに、この、いま鈴が仕えている王は、優しかった。
それが、危うく、とても嫌だと鈴は思う。
もっと、傲慢になってほしい。厚顔にも、冷徹にも。
そうでないと、いつかこのこは擦り切れて、消えてしまうのではないかしら。
それが、友人としての、しんぱいごとでもあった。
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