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□たぶん恋のはなし
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「お嬢さま、絳攸殿が…」
控え目にかけられた声に、静蘭の気遣いを感じた。
望んで望んで、嫁ぐ訳ではないことを、ずっと傍に居た静蘭はよく知っている。
それでも忠誠を誓った王が望んだ伴侶を得ることは彼にとって喜ぶべきことで、どの様に振る舞うべきか迷っている風なのを秀麗は感じていた。
その優しさに報いるように、秀麗も静蘭の前では極力明るい表情を見せようとする。
「…絳攸さまが?」
それでも、静蘭に告げられた客の名に、何故だかわからないが秀麗は一瞬動揺した。
絳攸が秀麗を訪ねることは特段珍しいことでもない。
毎週決まった時間に訪問と講義を受け、終われば夕食を共に摂るのが常だった。
動揺したのは、いつもの訪問時間よりも幾分か遅いからか、それとも、
それとも、後ろめたさからかも知れなかった。
己には過ぎる師に指南を受けておきながら、それを自ら放棄してしまった後ろめたさ。
でも、と秀麗は思い直す。
でも、このひとも、私から仕事を奪ったひとりだわ。
そんな意地の悪いことをちらりと思って、それで、やめた。
言っても詮ないことだ。
いつも通り、絳攸を迎え入れ、いつもより、丁寧に茶の用意をする。
「突然、悪いな」
「いえ」
絳攸は当たり前のように荷を解いて、いつものように書物を取り出した。
「あの…」
怪訝そうにする秀麗に、絳攸は笑いかける。
いつもと何も変わらず、椅子に腰掛けてさあ、と言った。
「最後の講義だ」
いつもの講義と寸分違わぬ時間だった。
秀麗が甘い回答をすると論拠が甘い、とずばり指摘され、悔しいので少しばかり穿った見解を述べると、今のはなかなかに的を得た答えだ、と褒められたりもした。
いつもと何も変わらない、違うことと言えば、部屋ががらんと寂しいことと、時間を気にしなくてもいいことだ。
今までなら、明日の業務に差し支えがあるから、と相応の時間になれば打ち切られたものであったが、もう秀麗はそれを気にせずともよい。
食らいつく秀麗に、絳攸も最後まで付き合ってくれた。
もう論ずることも何一つ残っていない。
どこか空虚で寂しい気持ちが、足元からじわじわと浸蝕するようにはい上がってくる。
すると、絳攸は見計らったように、自身の荷から、ゴトリと重そうな酒瓶を取り出した。
「悪いが秀麗、杯をふたつ用意してくれるか」
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