長編
□噛みつく
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「起きろよ」と優しく髪を撫でる感覚で目が覚めた。目を開けてぼんやり見えたのは洋平の優しい微笑みで、あたしの右手は何故か洋平の服の胸元を握りしめていた。
「花道の試合 見に行くんだろ?」とぼんやりしているあたしの髪を撫でながら洋平は笑った。「ん」と生返事をしつつ洋平の胸元に顔を埋める。もう少し、この匂いに包まれていたい。
すんすんと洋平の匂いを大きく吸い込んでいると今度はぽんぽんと後頭部を叩かれた。
「おはよ…」
「おはよう 用意しねーと遅れるぞ?」
「んー…!」
洋平から離れて一伸び。あたしから解放された洋平は「ふわぁ」とあくびを溢しつつ前髪をかきあげる。
「俺はバイクで行くけど 愛はどうする?」
「んー あたしは電車で行こうかな」
「わかった じゃあ現地で合流な」
「うんっ」
「じゃ 俺も着替えねーと」と腰を上げる洋平に改めて「ありがとう」と伝えた。
こんなに気持ち良く眠れたのはいつぶりだろう。あんなに大きく心を占めていた不安はなくなり、安心感で満たされたあたしは心からの笑顔を洋平に向けた。
「どういたしまして」
そう言ってあたしの頭をくしゃっと撫でて洋平は出て行った。
「あたしも用意しなくちゃ…」
時計を見ると思いのほかギリギリで急いで用意して電車に乗ると何故か洋平たちも同じ電車に乗っていた。
「あ!愛だ!」
「ほんとだ!」
「おはよう みんな…あれ?洋平バイクで行くって言ってなかった?」
「あぁ そのつもりだったんだけどよぉ…」
バイクに4人乗りしようだなんて発想が思い浮かぶあたり面白い。爆笑するあたしに「洋平のバイクがヘボいんだよ」とのんが言うから更に笑えた。
チューとゆうも笑っていて、洋平は不本意そうに頭をかいていた。バイクの方が楽だもんね。
そのまま話題はあたしに移り、珍しくポニーテールなんてしているから少し動くたびに「おぉ!!」「うなじ!!」と歓声が上がり、何故制服で来たんだと文句を言われたり、うるさかったけど気にかけてくれることが嬉しくてあたしはずっと笑顔だった。
思いのほか時間がギリギリになり、陵南高校前駅に着いてから学校までは軽く走ったけど、走った甲斐あって少し余裕を持って体育館に着くことができた。
「喉乾いちゃった… ちょっと買ってくるね」
「ひとりで大丈夫か?」
「心配しすぎ 体育館までの途中に自販機あったからすぐ帰ってくるよ」
それでも心配そうな洋平に笑顔を返し、体育館を出て校舎までの渡り廊下を進み、途中にある自販機までたどり着くまで数分もかからなかった。
「あ 君」
ガシャンと落ちてきたミネラルウォーターを拾おうとしゃがみ込んだまま、声のした方を見つめるとそこには背の高いツンツン頭の人がいた。
「あたし?」
そう聞きながらミネラルウォーターを掴み、立ち上がった。花道より高い…、ちょっと不躾かもしれないけど上から下へとまじまじ見てしまった。
「そう 君」
彼はあたしの顔を見て、へらりと笑った。その笑顔がどことなく、洋平を思い出させる。だから少し、警戒を緩めた…のが間違いだった。
ドンッ!と思い切り自販機に押し付けられた。背中に広がる鈍痛に思わず顔をしかめる。
「痛…い」
「可愛い顔」
あたしの小さく洩らした言葉を聞いて、ツンツン頭の彼は本当に嬉しそうに笑った。おかしい、初対面の筈なのにどうしてあたしがこんな事されなきゃいけないの?
「あ んた…っ」
「そんな睨まないでよ」
「っさい…離せ あたしに触るな」
「へえ 気ィキツイんだ?」
あたしが言葉を発する度にツンツン頭の彼は笑みを濃くしていく。それが少し…、ほんの少しだけ怖く感じた。この人には敵わない、そう思った。でも、抵抗しないで終わるようなタマでもないのよ、あたしは。
「アンタ…誰?洋平たちの喧嘩相手?」
「よーへー?たぶん違うよ 俺喧嘩しないし」
「だったらなんなの?あたしには覚えがないわ」
30aは差がある相手から目線を反らさない。首が少し痛いけど、反らす気はない。
「名前は?」
「なんでアンタなんかに教えなきゃいけないのよ」
眉間に皺を寄せてそう返すと、有無を言わさぬ声色で「名前は?」ともう一度聞かれて、小さく「…愛」と答えてしまった。
「へー 愛ちゃんかー」
「馴れ馴れしく呼ぶな」
「愛ちゃんさー」
こちらの話は全く聞く気がないのか、彼は更に口を開く。
「すごく俺のタイプ」
「はあ…?」
「この制服って確か湘北だよね?応援に来たの?」
「言わない 離せ」
「教えて 離さない」
「なら…力ずくで…っ!!」
拳を握って構えるとその拳を包み込むように握られた。
むっとして思わずあたしの手に重なった手のひらに思い切り噛みついてやった。
「って…!!」
その瞬間あたしの肩から彼の手が離れてその隙にあたしは少し距離をとった。
なんなのこの人…、全く読めない。洋平に似てるなんて思ったあたしの馬鹿。
「自業自得よ…!」
「あ 歯形付いてる…」
「噛み切られなかっただけマシと思いなさい…!!」
「それは大変だ」
そう言いながらもその顔から笑みは消えない。底知れない余裕にあたしの彼に対する第一印象は最悪だった。
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