05/24の日記

23:55
【今日の夜行バスのメンツ、マナーが悪いわ】
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いや、また来週もUターンだわ(笑)

何回やってんだろ?(´・ω・`)


でも、3次4次選考が普通になってきたからそろ×2決めたい。


そういう訳で明日は4次選考。

授業受けて、4次選考行って、アルバイト。

多分死ねる。(-_-;)


そういう訳で東京に帰る。

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01:21
【頼り木】
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面接があった。

本命である。

朝からその会社についてマインドマップやってたら、手が震えてた。

本当にこの会社でいいのか、ついていけるのかって思いがよぎった後に、

やっぱり自分には楽をしたい、物作りでも楽な事をしたい、けども成長していきたいって矛盾があったことに気が付いた。

楽して成長していきたいなんて、人間らしいがどうにもその人間らしさは嫌いなようだ。

厳しく責任があるこの会社で、死に物狂いで食らい付いていって、絶対に最高のエンジニアになる。

そう思ったら、自然と手の震えは止まっていた。

そして、面接。

やっと話せるという愉悦と結果を突き付けられる恐さの両方を感じた。

果たして、自分の従順な性質のみで役を作るか、自分の野心的な性質のみで役を作るか。

私は前者のが賢いと思う。
採用活動、とりわけ面接は人に選んで貰う行為だ。ゆえに、鬼のように顔を張った状態で「好きだ」と言われるよりも、やさしい面持ちで「好き」と言われた方が好感は持てる。

だから普通はそうした方が良い。

けれども、複数の面接グループの中で社長自らが面接を行うグループに私が入っているのを理解したとき、頭をよぎった言葉があった。

「生涯自分の執着したものを後世に伝えないのでは死んでも死にきれないのだ。」

中島敦の「三月記」に出てくる虎になってしまった男の言葉。実際はもっと違う言葉だったろうが、夢半ばで死んでいったこの作家のこの言葉に私の腹は決まった。

私が出した決断は、後者の野心的な性質である。

全てをさらけ出して自分の考えや今までやってきたことを語り、結果、普通の企業で落ちるくらい長く話をした。

面接官の反応なりと見ると、落ちる雰囲気だったと自分では思っている。

帰り道、やりきった感とやってしまった感の両方を感じた。

そして家に着いてから、やってしまった感を強く感じて、ちょっと前まで絶望感に浸っていた。

どうしようもない時に、寄りかかれるものがあるってのは良いことだ。

私には、それがあったけれども、後にどうも釈然としない。

ひたすら悲壮感が込み上げてきて、長い時間を過ごした。

ほかのことをやっても、よぎるのは今日の狂信的な野心。

苦しい、と思った。何をやっているんだろうかと。

今日の面接はゼミの発表を休んで来ていた。当然、教授からも責めが入る。

結果、なにもかもが嫌になっていた。

だが、ふと思う。

確かに決断は間違っていたかもしれないけれども、仮に自分が従順な性質を出して面接に望んだら自分は事後にそれに対して満足が出来たのだろうかと。


長い思考を巡らせて得た結果はNOだ。


自分の好きな会社だからこそ、自分のことを本気で知ってもらいたかった。むしろ嘘でなくとも、自分の素性を良い形だけつくっていって面接を行うのは私は死ぬほど嫌だった。

たとえ路頭に迷おうとも、実際に合格できなくとも、我を持たずにそれを遂行するなぞ、その物が好きであるほど私にはできない。

一般にこれを馬鹿だと言うだろう。

然し、そういう不器用な形に生まれたのが私なんだから仕様がない。

だから、今日私がした策は「一般に失策」であったとしても、「私にとっては持ちうる最大の一手」だった。

故に私は、人事を尽くした。

「若人よ、君にとっての幸せとは何か?それを問うことこそが前向きな悩み方だ。そしてそれを常に問い続けるのさえ忘れなければ、人生は有意義なものになる」

米:反省しろよ?→もとより私は阿呆の子である。反省なぞ微塵もする気はない。


天命を待つのみである。

私はそれに甘んずる、殉じる。

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