三番隊/弐

しあわせの数字
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「ああ、イヅル、ええのんもうてきたな。お、コレはボクの好きなヤツやん」
「そうなのですか…あの、隊長…お食べにならないのでしたら、お下げしますが…」
「ん。おうちに持って帰ろ。ま、何にせよお疲れさんや。もうそろそろお仕事終わる時間やし、ゆっくりしいや」
「そうですね…今日は特に、急ぎの仕事もありませんし――?」
と、机から下がろうすると足元に違和感。
見れば、床には色とりどりの飴の包装紙が散らばっていた。
半眼になってギンを見れば、急にそっぽを向いてやたら陽気に歌を口ずさむ。
無言でそれを拾って屑籠へ捨てる。
いつもの事で慣れているとは言えど思わず呆れのため息が零れた。
全て片付けて席に戻ると机の上にいくつか仕事に関する伝言が乗せてあった。
「これを見ますので、終業時まで居ます」
「ん」
書いてある内容は大したことではないが、読んでおくことに越したことはない。
お茶を一口含んで目を走らせる。
先程もらった菓子は高価と聞いてしまったので、なんとなく手が付け難く、そのままにしておく。
そうして必要な箇所を書き抜いて、新たにメモを作って明日の準備をしていると不意に目の前が暗くなった。
ギンがぬらりと立っていた。
その表情は逆光になっていて窺えない。
「…何か、御用でしょうか」
「もう、お仕事終わりの時間やで」
時計の針は終業時間を僅かに過ぎていた。
強い視線を感じてとりあえず手にしていた筆を置く。
ギンはいつもの笑みを浮かべて、袂に手を隠している。
背にした夕日は真っ赤だ。
暮れ落ちるのが近頃早いのは、すっかり秋めいた所為だろう。
「ボク、先に帰るけど」
「了解しまし――」
「…その後、イイコトしよ、な?」
いつの間にか、机の上から身を乗り出したギンは、艶やかに笑いながらイヅルの耳元に熱い吐息を送り込んでその耳朶を食んでいた。
イヅルの全ての動きが止まった。
ふるり、と身を震わせて眦を赤く染める。
「い、今はまだ…隊舎の中ですよ…離れて下さい…」
「だぁれも見てへんよ」
「そういう問題ではなくて…!」
「ふふ、怒った顔も可愛え」
ちゅ、と音を立てて怒りに赤く染まる頬に口唇を寄せるギンに何も言えず、イヅルは固まったまま。
それを満足そうな笑みで確認すると、ギンは袖を振りながら何事もなかったように、
「ほな、お家で待ってるでー」
そう足取りも軽く、消えてしまった。
残されたイヅルは、薄くて柔らかな口唇が触れた個所を震える手でなぞって、溜息。
甘さと切なさの混じって言葉に成る。
「…狡くて、嫌らしい方だ」
悪態を吐くその顔は、熟れた果物のように赤かった。
そうして帰宅の準備を終えてイヅルは席を立つ。
帰宅前の日課で明日の予定の書きこまれた黒板の暦を見た。
「ああ、今日は十月十二日だったのか」
破り捨てようとした暦を手にした時、ふと思い付く。
「…隊長と、僕の日みたいだ」
意味の無い数字。
けれど、どうしてか愛おしく感じるその、数字の列。
丸めて塵箱へ投げようとしたその紙片を、丁寧に伸ばして懐に仕舞う。
些細なこと。
でも、とても嬉しい偶然。
イヅルは幸せそうに微笑むと部屋の灯りを落とす。
そして何事も無かったように、部屋を後にした。



それは、きっと長い時間の何処かにあった日常の一コマ。
ありふれた日々を、幸せに思う事はきっと失ってから気付くのだろう。
でも今は、ただその幸せに浸って溺れて、どこまでも。
どこまでも、幸せに。
偶然の羅列のもたらした、この、幸せを。


【happy day→10/12!!】
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