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□律の風に椿震え
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だから今日。
以前と変わらぬ彼の姿を見て、穏やかな心地になったのだ。
終業時間を大幅に過ぎ書類の整理に追われて三番隊の執務室に残っていた僕の元に、彼――檜佐木さんが訪れた。
原稿のゲラ刷りを片手に、少し眉間に皺を寄せた良く知る姿。
その姿が入り口に見えた時、確かに安堵した自分がいた。
そして、ふとお互いにあの事件以来、様々な処理に追われてまともに話していなかったような気がした。
ぎこちなくなってしまうのではないかと危惧したけれど、片手を上げて男臭く笑う彼の顔を見たらそんな杞憂は消えた。
座ったまま申し訳ないけど、手が離せないので軽く頭を下げる。


「うっす。仕事終わったか?」
「はい――と答えたいところですが限りない作業です」
「手伝うわけにもいかねェからな。終わるまで待つ。席借りるぜ」


僕が何か言う前に勝手に決めて納得して、執務室の長椅子に腰掛ける。
そうして難しい顔で原稿を眺めて、唸りながら早々と何か書き付けていた。
僕は苦笑するしかない。
この後の予定や僕の都合など聞きもしないでそんな風に決めてしまうなんて、仕方がない人としか言い様がない。
再び書類に目を落とす。
でも次第に込み上がる嫌悪感。
思わず手で口元を覆った。
それがじわりと、背を蝕んでいく。
誰かの自分勝手さを心地よく想う自分。
自覚して、嫌気が差す。
込み上がる暗い物を必死で嚥下した。
それは、あの方の悪い癖。
そして心地良かった我儘。
些細な事が、市丸隊長に繋がる。
誰かの言葉や仕草が全て、あの方を想い出させて苦しい。
様々な想い出がこの身を焼く。
胸が鮮血を流して痛む。
だから忘れるために檜佐木さんに話を振ることに、した。
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