三番隊/弐

染めて、紅花
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疲れを感じて、視線を時計に遣った。
手元の針はそれらが一日で最も離れた上下に別れようとしている。
九月十日は残り僅か。
落胆と苛立ち交じりの吐息を零した。
筆運びが荒れそうになるのを堪えて書面を睨む。
墨が強く香る部屋は平生と異なり、とても居心地が悪かった。
机上に広がる書類を片付けるまであと一歩なのだが、集中出来ない。
理由は簡単で今朝、イヅルが現世から一月ぶりに帰還すると知らせを受けたのだ。
それを受けたが――未だ、日付が変わろうとしているのに帰って来ない。
ボクの不機嫌と疲労は頂点に達そうとしていた。
行き場のない不満は、任務に向けられる。
研修だとか応援とか何だとか、隊長・副隊長でも簡単に断るわけにもいかない仕事が十三隊にはある。
イヅルはその仕事に行っている。
どの隊だって行うことだし、逆らっても無駄なのは身に染みて解ってはいたのだが、何もこんな誕生日にかかる時期にしなくても良いではないかと思う。
精神的な負担も大きいが、もっと圧し掛かるものがあった。
普段、手もつけない事務的な仕事を一手に引き受ける羽目になったその苦労が並大抵のものでは無かった。
書類の決裁が特に面倒で、今も悪戦苦闘。
以前、五番隊の副隊長であったこともあるしどうにかなるだろうと思っていたら、この何年かで細部が変わっていた。
それを一々覚え直してやることの面倒といったら無い。
顔には、じっとりとした疲労が色濃く浮かんでいるのが鏡を見ずともわかる。
目元を指先で押さえるが、眼下には隈が浮かんでいた。
そうして再び書面に向かおうとした時――耳に廊下を渡る控え目な、それでいて早足な足音が届いた。
知って、感じて。
口元に笑みが広がっていく。
背筋を正して、強く筆を握り直した。
常と変らぬ様子を装って、残りわずかとなった書類に取りかかることにする。
そうして待っていると思ったより早く障子が開かれた。
背後から夏の終わりを知らせる、膨らんだ空気と緑の濃い匂いが部屋に忍び込む。
墨の香に支配されたこの部屋にそれは行き渡って、慣れ親しんだ夜の匂いは心を洗うようだ。
胸一杯に吸い込むと、肩に入っていた力がほんの少し抜けた。
そうして、その風と同じように自然に穏やかさを纏ったイヅルが室内に入って来るのが振り向かずとも気配でわかった。
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